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東京地方裁判所 平成6年(ワ)1276号 判決

主文

一  被告は、原告らに対し、それぞれ金一五〇万円及びこれに対する平成七年一二月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

一  主位的請求

被告は、原告らに対し、それぞれ金三〇一七万二六五四円及びこれに対する平成五年九月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  予備的請求

被告は、原告らに対し、それぞれ金一〇〇〇万円及びこれに対する平成七年一二月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、被告の経営する中延学園高等学校二年生の北海道への修学旅行(以下「本件修学旅行」という。)に参加した甲野春子(以下「春子」という。)が、旅行中に急性心不全で死亡したことについて、春子の両親である原告らが被告に対し、債務不履行(履行補助者たる引率教諭らの過失)又は不法行為(被用者たる引率教諭らの使用者としての責任)に基づき、主位的に、春子の死亡を予見回避する注意義務違反があるとして逸失利益等の損害賠償を請求し、予備的に、春子の体調に配慮し苦痛を緩和させるべき注意義務違反があるとして慰謝料を請求した事案である。

二  争いのない事実等(特記しないかぎり当事者間に争いがない。)

1 当事者

(一) 被告は、私立中延学園高等学校を経営する学校法人であり、平成五年九月当時、体育教諭で本件修学旅行の団長であった肥沼尚江(以下「肥沼」という。)、春子の学級担任である栗原祐二(以下「栗原」という。)らの教諭を雇用していた。

(二) 春子(昭和五二年一月五日生)は、平成五年九月一八日当時、同校の普通科αコース二年七組に在籍していた生徒であり、原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)は春子の父、原告甲野花子(以下「原告花子」という。)は春子の母である。

2 本件修学旅行

(一) 同校は、二年生の生徒に対し、平成五年九月一四日から同月二一日の日程で、三班に分けて北海道への修学旅行を実施し、春子は、同月一四日出発、同月一九日到着(五泊六日)の日程の第一班Aグループの一員として、右修学旅行に参加した。

(二) 本件修学旅行に参加した生徒は総数三七六名であるのに対し、引率の教諭は、各学級担任七名に加えて、肥沼他の合計一〇名であった。

3 死亡

春子は、本件修学旅行の五日目である平成五年九月一八日午後六時二〇分、網走中央病院で、急性心不全により死亡した。

三  原告らの主張

(主位的請求)

1 (注意義務違反)

被告には、以下のような、春子の死亡を予見回避すべき注意義務違反及びその他の注意義務違反がある。

(一) 生徒の健康管理に充分目が届くだけの人的・物的態勢を整備する義務

被告は、本件修学旅行を実施するにあたり、生徒の健康管理に十分目が届く人数の引率教諭を配置すべきであり、また修学旅行の途中で体調を崩した生徒の健康回復を図るため予備の宿泊室を確保し、専任教諭を看護に当てるなどの措置をとるべき注意義務があったのにこれを怠った。

(二) 心身に変調を来した生徒の状況把握義務

被告は、次のように春子が食事を取らない等の心身の変調を来していたのであるから心身の状況について直接、具体的、かつ、詳細に聞き出して、医師の診察を受けさせる等のなどの措置をとるべき注意義務があったのにこれを怠った。

(1) 春子は、九月一六日から胃の痛みを訴え始め、同日の夕食を取らずに部屋で休んでいたが、肥沼は、春子の部屋を訪問して春子に具合を尋ね便通の有無を確認した上何かあれば知らせるように言い残しただけであった。

(2) 春子は、九月一七日の朝食も取らなかったが、担任の栗原は、春子がバスに乗車する際に大丈夫かと声をかけただけであった。

(3) 被告の教諭は、春子が九月一七日の昼食を取ったかどうかについて確認しなかった。

(4) 春子は、九月一七日の夕食もとらずに部屋で休んでいたが、夜には胃痛を訴え、嘔吐し、胃薬を飲むなどしていた。栗原は、直接春子の部屋に行かなかったのみならず、他の教諭に行かせることもしなかった。同日夜は担当の教諭が定例の点呼を二回行っただけであった。

(5) 春子は、九月一八日の朝食も欠席し、嘔吐した。肥沼は、春子の部屋に行ったが直接医師のもとに同行する措置をとらなかった。

(三) 適切な病院を選択する義務

被告は、春子を設備に優れスタッフのそろった総合医療機関に受診させるべき注意義務があったのにこれを怠り、個人病院である網走中央病院に受診させた。

(四) 病院での重要事実の告知義務

(1) 肥沼は、春子の病状について正確に医師に伝えるべき注意義務があったのにこれを怠り、胃痛という重要な事実について告知しなかった。

(2) 肥沼は、春子の病状について基本的な検査と治療をさせるべき注意義務があったのに、これを怠り、病院側に対し、早く集団に合流したい意向を伝え、旅行を中断することにしたのちもそのことを病院側に伝えなかった。

(五) 両親への通知義務

被告は、遅くとも九月一八日朝の時点で春子の両親である原告らに春子の容態を連絡すべき義務があったのにこれを怠った。

(六) 事後の説明義務

被告は、原告らに対し、春子が死亡するに至る経緯について、正確に説明すべきであるのに、事実に反する説明に終始した。

2 なお、春子が呈していた症状は春子の死因とされている急性心不全の自覚症状と合致する。すなわち、心不全の症状として、呼吸困難、息切れの他、食欲不振、吐き気、嘔吐、全身倦怠感、易疲労感、脱力感、めまい等があるところ、春子は、九月一五日以降、全身の疲労、体調不全が重なり、九月一六日の夕食以来、食欲不振の状態にあった。

3 損害

(一) 逸失利益 三四八二万円(ただし、賃金センサス平成五年産業計・企業規模計・学歴計・短大卒業女子の平均賃金額年収三三六万二九〇〇円を基礎とし、生活費控除率を三〇パーセントとして、ライプニッツ係数を用いて計算したものである。)

(二) 葬儀費用 六六一万二〇七三円の内一二〇万円

(三) 交通費 二二万五三〇九円(ただし、原告らが春子の死亡した網走市の病院に駆けつけたときの交通費等)

(四) 慰謝料 二〇〇〇万円(ただし、春子固有の慰謝料として一〇〇〇万円、原告らの慰謝料として各自五〇〇万円)

(五) 雑費 一〇万円

(六) 弁護士費用 四〇〇万円

(七) 合計六〇三四万五三〇九円

(予備的請求)

1 注意義務違反

仮に、主位的請求における注意義務違反及び被告の教諭の作為、不作為と春子の死亡との間に相当因果関係が認められないとしても、当時の春子の健康状態からみて、肥沼ら引率教諭には、春子の体調に配慮し苦痛を緩和させるべき注意義務違反等がある。その内容については、(主位的請求)1(二)ないし(六)の主張と同旨である。

2 損害

慰謝料 二〇〇〇万円(ただし、春子固有の慰謝料として一〇〇〇万円、原告らの慰謝料として各自五〇〇万円)

四  被告の主張

(主位的請求に対して)

1 義務違反の不存在

以下の事実から、被告に原告ら主張の義務違反の事実は認められない。

(一) 春子の平素の体調

春子は、一学年のときは皆勤賞である上、二学年最初の健康検査でも特別の異常はなかったし、春子から提出された生徒環境調査でも普通の状況である旨記載されていた。

春子は、死亡当時、一六歳八月の高校二年生で、自己の健康状態の把握、判断も自分でできる年齢であり、修学旅行中であっても旅行継続に支障を来す体調の変化については、自分から引率教諭に申し出ることができた。

(二) 本件修学旅行の体制

本件修学旅行の日程は、日本旅行の計画によるものであって、日程上無理はなく、旅行会社からも男性二名、女性一名が同行していた。

また、北海道内を八台のバスで移動したが、この旅行では生徒に自主的に三名から一〇名程度のグループを組ませ、同じ組の者に異常があれば、教諭に報告させる体制をとっていた。

(三) 教師らの確認

(1) 肥沼は、九月一六日、春子が夕食を欠席した際、事情を聞き、同人から、疲れやすい体質であるが、睡眠で治る旨の申し出を受け、その際、排便、排尿及び熱について異常のないことを確認した。

(2) 担任の栗原は、翌一七日、春子が朝食を欠席した際、事情を聞き、同人から大丈夫である旨の回答を得、昼食の際も、同じグループの生徒から異常は訴えられていなかった。

(3) 同日の夜の点呼の際、春子は眠っており、同室の生徒も春子の異常には気付かなかった。

(4) 肥沼は、翌一八日午前八時ころ、春子が朝食を欠席したため事情を問い、前夜に胃痛があり胃薬を飲んだが、それも吐いたことを聞き出し、春子はクラスとの同行を希望したものの、肥沼は春子を説得の上、同日八時三〇分ころ、網走中央病院に連れていった。

(四) 診察時の状況

春子を診察した網走中央病院の医師は、当初午後一時五三分発旭川行きの列車で春子が再び修学旅行に合流することも可能と考えており、重大な異常はなかった。

2 因果関係の不存在

仮に、被告に義務違反があったとしても、春子の死因である心不全は春子の肉体的要因から惹起されたものであり、被告の義務違反と春子の死亡との間に因果関係はない。

(予備的請求に対して)

注意義務違反と死亡との間に相当因果関係がなければ、慰謝料の請求はできない。

五  争点

1 被告に春子の死亡を予見回避すべき注意義務違反があるか。

2 被告に春子の苦痛を緩和すべき注意義務違反があるか。

3 損害額

第三  争点に対する判断

一  事実経過

争いのない事実及び《証拠略》により認められる事実は、次のとおりである。

1 春子は、平成五年五月の健康診断では、身長一五六・五センチメートル、体重七六キログラムで、心臓等に特段の異常が認められず、本件修学旅行に出発する際も、体調の不調等を訴えていなかった。

2 春子は、本件修学旅行の三日目である平成五年九月一六日ころから胃の痛みを訴え始め、同日以降、菓子、ジュース、アイスクリーム類を除くほとんど食事を摂取しない状態であった。

3 九月一六日夕方

春子は、九月一六日の夕食を欠席し、同じ班の生徒(春子のほかに、乙山夏子、丙川秋子、丁原冬子、戊田松子、甲田竹子がいた。)に「疲れたので食事をせずに休む。」と言って早く休んだ。

肥沼は、同日春子が夕食をとらず休んでいることを知り、春子の部屋まで見に行って、その具合や便通があるか等を尋ねたところ、春子は、疲れたので休みたい、便通はあると答えた。肥沼は、何かあれば知らせるようにと言って春子の部屋を出た。

4 九月一七日

春子は、本件修学旅行の四日目である同月一七日の朝食及び夕食をとらず、同日夜に胃痛を訴え、嘔吐し、胃薬を飲んだ。同日の昼食については、席に着いたものの、食事はとらなかった。春子は、昼間も見学先でベンチに座ったりしており、床に入ってからも、うなされていた。同室の生徒たちは、春子が床に入ってからも室内で午後一二時ころまで起きており、春子にブドウを食べさせたほかには特段春子の体調に配慮したこともなく、春子から特に体調の不調を訴えられたことはなかった。

担任の栗原は、同日朝、春子がバスに乗車する際に、春子に対し、大丈夫かと声をかけたところ、大丈夫であるとの返事が返ってきた。また、栗原は、同日の夕食の際、春子の同室の生徒からの報告で春子が夕食を欠席することを知った。

引率の佐久間教諭は、同日夜、生徒の点呼のため、春子らの部屋を訪れた際、春子が眠っていることを確認したが、その際、同室の生徒に、春子のその後の様子を尋ねることをしなかった。

5 九月一八日朝

春子は、本件修学旅行の五日目である九月一八日の朝、自力で起き上がって、着替えることができず、再び嘔吐して朝食をとらず、腹部の痛みを訴えたので、同室の生徒は担任の栗原に春子の体調が悪いことを報告した。午前八時前に春子の部屋を訪れた肥沼は、春子に対し、昨夜及び今朝の状態を聞いたところ、春子は、「昨夜胃が痛くて食べたものを吐いたので、胃薬を飲み、風呂に入って寝た。今朝はぶどうと胃薬を吐いた。だるい。」と著しく体調が悪いことを訴えた。そこで、肥沼は、春子に対し水分をとるように勧め、お茶を飲ませた。また、その際、肥沼は、春子に対し、「病院へ行こう、家に連絡しよう。」と勧めたが、春子はこれを拒絶した。肥沼は、午前八時ころ、春子を肥沼の乗るバスに乗車させ、見学地である網走監獄博物館に向かったが、バスの中で、春子は、病院へ行こうという肥沼の再度の勧めに対し、何も答えなかった。

6 網走監獄博物館、網走中央病院

春子は、肥沼に付き添われて右博物館に着いたものの、歩行することが困難で、見学することもできずベンチで顔を覆ってうつぶせの姿勢の状態で東屋で休憩し、肥沼の問いかけに返事することも困難であったので、肥沼は、春子を病院に連れていくこととし、同日午前八時三〇分ころ、右博物館から網走中央病院(右病院は旅行社から配布された宿泊地の病院一覧に記載された病院であるが、肥沼は右病院の連絡先を右博物館の職員から聞いて連絡を入れた。)に向かい、同日午前九時ころ、同病院に到着した。

7 教諭らの対応

被告の教諭らは、春子の同室の生徒らを通して、春子が食事を取らなかったこと、春子の体調が悪いことを数回にわたって聞いていたが、本件修学旅行において食事を取らなかった生徒は春子だけであったところ、九月一六日、一七日の教諭らのミーティングにおいて、春子の体調のことを特に話題にしなかった。

二  春子の治療経過及び死因

争いのない事実及び《証拠略》により認められる事実は、次のとおりである。

1 急性心不全について

心不全とは心機能低下に由来する循環不全(血液を循環させる機能が不十分となった状態)である。循環不全には、心性循環不全・心外性循環不全・局所的末梢循環不全に分類され、循環不全がうっ血を伴うときにはうっ血性循環不全という。心不全の症状として、肺うっ血症状の場合には呼吸困難等があり(これが心不全の代表的症状であるとされている。)、全身性うっ血症状のうち消化器にうっ血が生じた場合には食欲不振、吐き気等があり、心拍出量低下の場合には易疲労感、脱力感、めまい等がある。しかし、右の症状は特定の疾患または病態のみに特有なものはなく、症状が出現した時点で直ちに心不全を考えることは不可能であるとされている。心不全の重症度判定は現在のところ主として自覚症状に基づいてなされており、広く合意されたものは確立されていない。

2 治療経過

春子は、肥沼に付き添われて、平成五年九月一八日午前九時ころ、網走中央病院に来院し、院長である医師の有里伸一(以下「有里医師」という。)が春子を診断した。春子自身は話をするのが困難な状態であり、医師への説明は主として肥沼によってなされたが、春子は、一六日夕食から食事をとっていないことを説明し、食欲不振、吐き気、歩行の際のめまい・息切れを訴えた。その際、胃痛の自覚症状は明確には告げられなかった。有里医師は聴打診、腹部触診等をしたが、特記すべき所見は認められず、心電図において軽度の頻脈が認められただけであった。有里医師は、春子が食欲不振であることを考えて、フルクトラクト二〇〇CCの点滴を施行した。有里医師は、JRで次の宿泊先である旭川に行き修学旅行に戻ることができると判断していたが、右点滴後も、春子がめまい、倦怠感を訴えたので、春子を病室で休ませ、ラクト・リンゲルM五〇〇CCの点滴を施行した。その後、春子は、同日午前一一時二〇分ころ、網走中央病院に仮入院した。同日午前一一時三〇分ころ、肥沼は、春子の自宅に春子が入院したとの電話をした。春子は、同日午後〇時三〇分ころから、断続的に、胃痛、腹痛、下腹部痛を訴え、同日午後一時三〇分ころから、激しい胃痛を訴え、午後一時五〇分ころ、心停止、呼吸停止の状態となり、その後、有里医師らによる蘇生術が続けられたものの、午後三時四〇分ころ脳死状態と診断され、午後六時一〇分ころ原告花子が網走中央病院に到着し面会後、蘇生術が休止され、午後六時二〇分ころ死亡した。

3 死因

有里医師及び原久人医師は、春子の直接死因につき急性心不全と診断し(ただし、急性心不全の原因は明らかではない。)、発症から死亡までの時間は約五時間とされた。

三  争点1(春子の死亡を予見回避すべき注意義務違反)について

以上によれば、春子は本件修学旅行の三日目である平成五年九月一六日ころから食欲不振、胃痛等を訴え、九月一六日の夕食から同月一八日の朝食まで欠食し、肥沼、栗原らは同室の生徒からの報告等により右事実を認識していたことが認められるが、他方、〈1〉春子の直接死因とされている急性心不全の発症時期は甲二号証によると死亡の約五時間前ということになるが、その根拠は必ずしも明確ではなく、また右急性心不全が前記の心不全のどの類型になるのか、春子が心不全となった原因は何であるかがいずれも証拠上明らかにされていないこと、〈2〉九月一八日に春子が網走中央病院に来院するまでの春子の自覚症状が急性心不全によるものかどうかも不明であること(春子の症状と心不全の症状とが符合する部分もあるが、春子の急性心不全が心不全のどの類型に該当するのか証拠上明らかでないうえ、右病院に来院するまで春子は心不全の代表的症状である呼吸困難については特に訴えていた様子がないこと、九月一七日までは集団行動をとっていたこと、春子が友人及び引率の教諭に対し、積極的に、著しい体の不調を訴えたのは九月一八日の朝からであることからすると、春子の呈していた症状が心不全によるものであると推認することは困難である。)、〈3〉心不全の診断自体医学的には一般に困難であるとされていること、〈4〉すでに、春子が医師の管理下に入った後の九月一八日午後一時三〇分ころに春子の容態が急変しているが、医師においても、このような事態を予見していたとは認められないこと、以上の点から判断すると、九月一六日夕方ころから九月一八日朝(網走中央病院に来院する)までにかけて、被告の教諭らにおいて春子が急性心不全あるいは他の病気により死亡することを予見し、何らかの措置を講じてその結果を回避することは不可能であったと言わざるを得ない。したがって、被告の引率教諭らに春子が死亡することを予見し、これを回避する注意義務違反は認められない。

また、被告の教諭らのとった措置と春子の死亡との間の相当因果関係を認めることもできない。

四  争点2(春子の苦痛を緩和すべき注意義務違反)について

原告らは、被告は次のように春子が食事を取らない等の心身の変調を来していたのであるから心身の状況について直接、具体的に、詳細に聞き出して、医師の診察を受けさせる等のなどの措置をとるべき注意義務があったのにこれを怠ったと主張するので、以下個別に検討することとする。

1 春子が九月一六日の夕食を取らなかった際の被告の教諭らの措置については、肥沼が春子の部屋を訪問して春子に具合を尋ね便通の有無を確認した上何かあれば知らせるように言ったことが認められ、この時点においては、春子が食事を欠席した最初のときであったことを考えると、被告の教諭らの措置は相当である。

2 春子が九月一七日の朝食や昼食をとらなかったので、栗原が当日の朝、バスに乗車する際に春子に対し大丈夫かと声をかけているが、春子は当日の日中は普段より元気がなかったものの歩くのが困難であるとか見学ができないといった状況になく、見学中やバスの中でも、他の生徒や教諭に特に身体の変調を訴えた形跡も窺われないが、昼食もとらず、また夕食もとらなかった。被告の教諭らにおいて、春子が食事を欠席するとの報告を受けていながら、定例の点呼以外に春子の病状を見るために春子の部屋を訪ねた教諭はおらず、教諭のミーティングでも春子のことを話題にしてはいなかった。ところで、健康で食べ盛りの高校二年生の女子生徒が、修学旅行中の環境の変化により体調を崩したとはいえ、前日から通じて四食もまともな食事を取らず、体調の変調を訴えているのであり、相当な心身の苦痛が推認され、異常な事態というべきであり、被告の引率教諭としては、春子の心身に異常が発生していることに思いをいたし、顔色等外観の状態をよく観察し、食欲のなくなった時期、その程度、自覚症状、苦痛の程度を尋ねる等その健康状態を十分に把握し、薬を与えるとか、医師に診察してもらうとかして、生徒の健康に配慮し、苦痛を緩和させる注意義務がある。しかしながら、被告の教諭らは、春子から激しい苦痛の訴えがなかったところから、その健康状態について詳細を尋ねるとかミーティングで対応を検討するなど、春子の苦痛を除去するための方策を取ろうとしなかった。被告の教諭らには、遅くとも九月一七日の夕食時間後の時点において右の注意義務違反があったものというべきである。

3 春子は、九月一八日の朝、一人で起き上がれず、朝食をとらなかったところ、肥沼が、春子の部屋に行き、春子と話をし、いったんバスで見学地の網走監獄博物館に同行したものの、歩行や話をすることが困難な状況で、見学することができず、結局網走中央病院に連れて行ったのである。集団生活である修学旅行において、生徒は周囲に迷惑をかけることをおそれたり、友人らと別行動になったりするのを避けるために無理をしがちであること、被告が修学旅行中の生徒の健康を全面的に管理掌握すべき立場にあることを勘案すると、かかる状況の下では、肥沼において仮に春子が旅行を続けたい意向を持っていたとしても春子の健康状態を優先して宿泊場所から直接病院に同行する措置をとるなどして、春子の苦痛をできるだけ早く緩和させるべきであったというべきであり、この点においても、被告の教諭らには、右注意義務違反が認められるというべきである。

五  その他両親への通知義務違反等

1 原告らは、〈1〉遅くとも九月一八日朝の時点で春子の両親である原告らに春子の容態を連絡すべき義務があったのにこれを怠り、〈2〉春子を設備に優れスタッフのそろった総合医療機関に受診させるべき注意義務があったのにこれを怠り、〈3〉肥沼には春子の病状について正確に医師に伝えるべき注意義務があったのにこれを怠り、更に、〈4〉肥沼には春子の病状について基本的な検査と治療をさせるべき注意義務があったのにこれを怠った等と主張するが、本件全証拠によっても、被告に債務不履行ないし不法行為が成立するような注意義務違反があったということはできない。

2 春子の死亡後原告らに対する被告の説明に関する注意義務違反の点について

《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

平成五年九月一八日、春子の死亡後、被告教諭の肥沼らが春子が死亡するに至った経緯を説明し、同月二四日、被告教諭の肥沼と栗原が原告ら方を訪れ春子が死亡するに至った経緯を説明したほか、同月二七日、被告佐藤校長らが原告ら宅を訪れ、春子が死亡するに至った経緯を説明した。以上の説明において、被告側から大筋においては前記認定に沿った形での経過説明がなされており、春子の死亡後原告らに対する被告の説明に関し被告に債務不履行ないし不法行為が成立するような注意義務違反はない。

六  争点3(損害額)について

以上認定した諸般の事情を総合勘案すれば、四の被告の注意義務違反によって春子が蒙った精神的損害は、三〇〇万円とするのが相当であり、原告らはこれを二分の一ずつ相続した。

七  以上によれば、被告は、原告らに対し、それぞれ一五〇万円及びこれに対する平成七年一二月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告らの本件請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、原告らのその余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤 康 裁判官 稻葉重子 裁判官 山地 修)

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